子供のころ、大人になったら何になろう。と考えたものだ。
私にもそんな時はあった。けれど、気付くとその時その時を生き、今の自分のポジションに行き着いている気がする。
子供の頃から、何になりたい!と勉強に励む人もいる。
素晴らしいことだと思う。
計画的に、自分の夢を叶えるために必死に努力する若者。
素晴らしいと思う。
私は、いろいろと努力が足りなかった。
そんな自分で作ってきた劣等感の固まりがいつの間にか大きく大きくなってきている。しかし、それは表立って出す事はない。必要性もない。
でも、古い仲間に会えば、そんな気持ちがハラハラと出てきてしまう。
古くからの私を知っているからだろう。
理解もしてくれれば、ののしってもくれる。
良い仲間だ。
自分の生き方に不自由は無いか?と問われれば、不自由は多いのかもしれないけれど、それが共存という形であり、これが私の居場所であることもわかっている。
独り暮らしの頃が、自由気ままで良かったなと思うこともあるけれど、人への思いやりや、気遣い、協調性を忘れてしまっていたかもしれない。
自由すぎる場に居たら、きっと何も私は作っていなかっただろう。
ただただ興味のある方向へ、ふらふらとしていたかもしれない。
不自由の中で、最大の力を、自分に満足のいくコトをやりたい。そう思うから私はこんなに、ひたすら動けるのかもしれない。
正直人間だもの、疲れるし、手を抜きたくなるし、すっ飛ばしてしまいたいこともある。
けれど、それが本当に私のやりたい事かと?と自問すれば、自然と頭もからだも動き出す。
その手助けに、音楽があったり、尊敬する人たちのパワフルな活動から活力を貰っているのである。
”自由気ままに”やりたいことを、しっかりやりたい。
家族とともに。
大原彩